YESかNOか半分か

元ニートが、再びニートになったりならなかったり。

YESかNOか半分か

意思を持たないゾンビ、意見を持つ人間

世の中には様々な思考を持つ人がいて、人の数だけ思考の数がある。

「十人十色」
人の考え方などは、それぞれ違っていること。

十人十色 - ウィクショナリー日本語版

この言葉はなかなか良い言葉だと思う。

どんな意見や思想の論争を耳にはさんでも、「十人十色だから仕方が無いね。」と言ってしまうと自分の中では「そうだよね。仕方がないね。」と自己完結できてしまうのだから。
多数の異なる意見を一まとめにしようといっても、普通は上手くはいかないもの。


「私はこうだからこう思う。」という意見を目撃しても、
「ああ、そうだね。そういう考え方もあるよね。」という具合に状況に応じてそれを受け入れる順応性を見せる方が案外スムーズに事が進む事もある。
真っ向から対立するのには、それに立ち向かう多くのエネルギーが必要だし、そのエネルギーを消費する事を厭わないという人も存在すれば、全くそのような思想を持ち合わせない人も存在する。それを無駄な行為だと批判する人だって存在し得るのだ。

社会主義の国だから独裁国家だからといって国民全員がそういう思想の持ち主かと思えば、そういうわけでもない。記憶に新しい“アラブの春”。
主の思想と異なるそれを彼らは温存し、思想の欠片を丹念に集めて管理した結果として“アラブの春”というものが起こったのだから。

人が意見を述べる姿を眺めるのは、人という生き物の興味深さを感じる瞬間でもある。人の数の理論がそこにはあって、様々な意見が飛び交う瞬間。それぞれを述べる人は、自身の理論がが正しいと思ってはいるが、反対側の意見を述べる人側からすると、それは全くもって不正解の理論なのだ。
平行線の論争が続き、結局は終わりの見えない底なし沼までズルズルと引き込まれてしまう。

人はそれぞれ個の意見を持ち合わせている。それが正しいのか正しくないのか。大抵、人は長年培ってきた“常識”または多数側の意見などをもとにそれを判別する。
面白い事に、独裁政権下に置かれている国に対して民主主義である私たちは「それは間違っている」と言葉を投げかけるけれど、彼らの大多数にとってはそれが“常識”であると信じられているのだ。中には「それでいい」と満足する人だっている。一歩踏み出して民主主義の私たちが介入すると、「状況が一変して悪くなった」と怒りだす人だって出てくるだろう。それほど個の意思というものはデリケートな存在なのだ。

自分自身の主観的な強い意見を持つのは決して悪い事ではない。それが人の人格を形成しているのだから、それが無くなってしまうという事は、ただの意思を持たないゾンビ”になってしまうということで大変つまらないし勿体無い。と私は思うのだけれど、「逆に無くてもいいじゃないか、その方が楽なんだ。」という人も存在するわけで。
誰かが「YES」と言えば、別の所で違う人物が「NO」という。まるで生理現象のような自然の流れ。

だから自分と違う意見の人がいたって、驚いてアレルギー反応を出す程でもない。それが当たり前のことで、それを当たり前だと思う事によって抗体が形成されてゆくので、暫らく経てば免疫力も付くはず。
免疫力が付くと、他人の思想を今まで以上に幅広く垣間見る事が出来るし、今までは見聞きするだけですぐに反論体制に入っていたような事柄も、自分の主観を一旦横へ置いておいて客観的に他人の意見を思考することができます。
自分の反対意見も自分の意思と同じように可愛がれると、少しは楽になれるのかもしれない。


とまあ、そんな事を下記の曲を聴きながら考えていました。金曜日の夜ということもあり少々ハイかもしれません。TGIF*1

BGM: Evans by. DJ YOSHITAKA

Evans

Evans


<jubeat> Evans Remix リミックス版 - YouTube

*1:Thank God It's Fridayの略。学生の時は喜びながらこの言葉を発し、仕事を始めてからは嘆きながら叫んだ言葉。