YESかNOか半分か

元ニートが、再びニートになったりならなかったり。

YESかNOか半分か

阪神淡路大震災で被災してから19年経った私の記憶

朝目覚めてから携帯を手に取り、今日の日付を見て
あ、今日は「あの日か…」
と思いだす。

平成7年1月17日に起きた、あの阪神淡路大震災を。


当時私は5歳で幼稚園の年中だった。5歳児の脳ながら、震災が起こった日の事は、いつでも鮮明に思い出すことができる。


ドンと来る衝撃。揺れながら、まだ夜明けというには薄暗いカーテンの向こう側を見つめ。母が叫びながら自分の布団の中に私と2歳になったばかりの妹を引っ張り入れる。
バリーンとガラスや食器が割れる音。私たちが寝ていた寝室に置いてあったガラス張りの本棚が、布団に向かって倒れてきた。飛び散る破片。布団の中なのに、ガラスで足をチクチクと刺される感触がなかなか消えなくて気持ちが悪かった。

気が付くと明け方の悪夢のような時間を忘れさせるような快晴で、太陽の光がぐちゃぐちゃになった室内を照らしていた。
父はこめかみから出血していて、止血するためにタオルを巻きつけていた。白いタオルが少しずつ鮮血に染まっていった。

ガスがつかない、水道が出ないと母が嘆き、ガスは絶対に付けるんじゃないと、車で我が家を確認しに来た祖父が諭した。

私は幼い妹が布団の上からガラスの海へと出てしまわないように、ぎゅっと彼女を抱きしめていた。
視界に入るのは、隣の布団の上に倒れたガラス張りの大きな本棚。
「あの場所は、私が寝ていた場所のはずなのに…どうしてお父さんが寝ていたのだろうか?」

地震が起こる前夜、私はいつもの定位置である本棚の前に敷いてある布団に潜り込んで寝たのをハッキリと覚えていた。
私の寝像の悪さが功を奏したのか、どういう経緯かは分からないが、本来私が寝ていた場所には父が寝ていたらしい。
この事は、当時の両親でも分からないほど不可解な出来事だった。

私の震災に関する記憶は、当日のこの程度しか残っていない。なので、この後の私たち家族の動向だとかは全く覚えてはいない。
他に思い出せる事が無いから、震災が起こったこの日の出来事が5歳の時の私の記憶。


最近、母が年賀状を眺めている時に
「あ、この人、私たちがお風呂に入れないときに招いてくれた人なのよ。覚えてる?」
と尋ねてきた。

「え?そんな事があったの?」
残念ながら、自分にはその時の記憶が無かったし、自分たちが遠くに住む母の知人のお風呂を借りなければいけないほどの被害を受けていたことも知らなかった。
いや、知らなかったというよりかは忘れてしまっていたという方が正しいのかもしれない。


自分の地震に関する知識や記憶は小学校に入ってからのものの方が多かった。
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ドッカンぐらぐら―阪神淡路大震災兵庫県下児童作文集

ドッカンぐらぐら―阪神淡路大震災兵庫県下児童作文集

毎年1月になると上記の文集を読み返したり、震災当時の様子をまとめたビデオを見て当時の事を振り返った。
震災に関する書籍も沢山読んだ。
クラスの皆で震災当時の出来事を発表しあったりもした。
ビデオを見たり、級友たちの話を聞いていると自分の体験というものが、とても薄っぺらく大したものでも無いのだなと思った。

身近な人を亡くしたり、家が全壊した人が大勢いる。
そんな中、家の中が滅茶苦茶になってお風呂が入れなかったくらいの私が被災した」なんて言葉を使うのは大げさだと思っていた。

なぜ今回のタイトルに被災した」という自分にしては大げさだと思う言葉を入れたのか。
それは、自分では大した事が無いと思っていても、小さな破片が私の中に残っていたのを発見してしまったから。
どうやらその破片は、私の体の中にではなく、心の中に残っているらしい。


日本では、ほぼ毎日のように地震が起こっている。特に東北や首都圏を襲った東日本大震災が起こってからというもの、ニュースのテロップで頻繁に地震速報を目にする機会も多くなった。
私は昔から、「自分は地震には敏感な方だ」と思っていた。阪神淡路大震災があったからかもしれないし、元々の体質的なものかもしれない。
昨年の途中、私はニートになった。家に居る事も多くなるし、1人でいる事も多くなる。
ふとした時に、地震が起こり、揺れを感じる事が頻繁にあった。

地震が起こると、ぎゅっと身を固くして、早く揺れが収まってくれと願いながら待つ。
「これは震度1くらいだろうか…」
そんな事を考えながらその場でじっと待つ。

そして揺れが収まってから、慌ててテレビやネットをフル活用して震源地と震度を確認する。
大体は震度1程度の小さな地震でホッと息をつくのだけれども、時には震度3を記録した時もあった。
震度3を体感した時は、揺れが横揺れだったためか震度5くらいはあるんじゃないかと思って、
「いよいよ南海トラフが来るのか…」
と天を仰いだ事もあった。


普通の人からすると「ちょっと大げさ」と思われるかもしれない。
でも小さな地震が起こる度に、慌ててニュースをチェックする自分の姿を考えると、
「やはり自分は阪神淡路大震災被災していたのだな」としみじみ思うのだ。


今日、はてなのトップページを眺めていて阪神淡路大震災に関するエントリーが上がってくるんだろうなーと思っていた私はちょっとだけ拍子抜けした。あまりにも少なかったから。
風化が広まっているといわれている阪神淡路大震災。やはり19年という歳月が経っているということもあるだろうし、一応は当事者である私ですら記憶が薄れているのだから、そうでない人にとっては普通の事なのかもしれない。

けれど私は覚えている。小さな地震が来る度に思い出す。冷え込んだ部屋のカーテンの隙間から覗く、あの薄暗い明け方を。