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YESかNOか半分か

元ニートが、再びニートになって何かいろいろ書いてます

YESかNOか半分か

皆と一緒だから出来ること-【夜のピクニック】

夜のピクニック (新潮文庫)
夜のピクニック/著:恩田陸を読みました。

あらすじ
全校生徒が24時間かけて80kmを歩く高校の伝統行事「歩行祭」。3年生の甲田貴子は、最後の歩行祭、1年に1度の特別なこの日に、自分の中で賭けをした。それは、クラスメイトの西脇融に声を掛けるということ。貴子は、恋心とは違うある理由から西脇を意識していたが、一度も話をしたことがなかった。しかし、ふたりの不自然な様子をクラスメイトは誤解して…。

夜のピクニック - Wikipedia


作中で登場する高校の伝統行事である「歩行祭」を舞台に描かれている物語。
朝から晩まで2日間かけて80kmも歩くなんて、高校でそんなことをするところがあるのだろうか?創作かな?と思っていたら、なんと著者である恩田陸さんの母校で実際に行われている行事だそうで、とても驚いた。

著者の母校である茨城県立水戸第一高等学校の名物行事「歩く会」をモデルにしている。本書では80kmの歩行祭と記してあるが、実際の「歩く会」は70kmとのこと。
夜のピクニック - Wikipedia

他にも全国で茨城県立水戸第一高等学校並みの長距離を歩く学校がいくつかあるみたい。
名前からして、いかにも「青春!」を感じさせる行事。

歩行祭のことを考えていたら、似たようなイベントの「富士バカ」を思い出した。

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似たような、とはいっても、歩く総距離は100km以上を軽く超える距離で、おまけに下山するまでは無一文という縛りがあるから「歩行祭」よりも過酷だろうな…。
実は私の友人が過去に「富士バカ」に参加してて、凄く楽しそうにその事をmixiだったり、Facebookに書いていたのが少し羨ましかった。


高校生の時に、あんまり「皆で何かを成し遂げる」というような機会が無かったからだろうか。体育祭にしても、競技に出場したのは確か1種目くらいで、あとは個々で芝生に座って喋って時間を潰したりしていた。
日本の体育祭であるような、熱の入った応援団とか、皆でダンスや競技の練習をしたりだとか、そういったものは一切なかった。
体育祭そのものが、どちらかといえば「参加したい人が参加する」というようなスタンスだった。
競技なんて、当日のぶっつけ本番。予行演習だってない。


「海外の学校ってこんなもんかー」って思ったけど、海外は「個人」という印象、日本は「団体」という印象を受けた。
高校で1人1人が作品を作ってファッションショーをしたことがあったのだけれど、日本だと文化祭なんかでは、何か1つの物を“皆で協力して”作り上げる事の方が多い。
完成系としては、ファッションショーも文化祭の作品も「皆で作り上げたもの」なんだけれど、その過程が「個人で」作ったものと、「皆で」作ったものじゃ少し違う。一体感とか得られる満足感が後者の方が多いんじゃ無いかな。実際に私はそうだった。
「走行祭」にしたって、仮に自分ひとりだったら「80km歩こう」なんて思わないけど、「皆と一緒」だから実施している学校の生徒さんたちは歩ききれるんですよね。

「皆と一緒」。それだけで意味のある1つの大きなパワーなんだろうな。

並んで一緒に歩く。ただそれだけのことなのに、不思議だね。
たったそれだけのことがこんなに難しくて、こんなに凄いことだったなんて。

出典:夜のピクニック P.317



夜のピクニック [DVD]
原作読んで、映画がとても観たくなった。