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YESかNOか半分か

元ニートが、再びニートになって何かいろいろ書いてます

YESかNOか半分か

人を完全に嫌うことの難しさ

人を好きになるのは簡単だけれど、嫌うのはなかなか難しい。

こういう事を思っている自分は偽善心で満ちあふれているような気がしてならないけれど、私は昔から人を完璧に嫌う事が出来ない人間だ。

http://www.flickr.com/photos/49842283@N04/6041500642
photo by Skley

小学生の頃から面倒な友人関係に巻き込まれたり、一癖あるややこしい人物との関わり合いの中で、何度も「嫌いだから付き合わない様にしよう」と努めても、結局は繋がりを切れないままでいた。


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人を嫌うと一言で言っても、嫌う度合いもピンからキリまである。

口をききたくない、会いたくもない、関わりたくもない。
そう簡単には思えても、なかなか行動に移す事が出来なかったのは、自分が「NOと言えない日本人」の典型だからなのかもしれないし、嫌悪感を抱く相手の「良い部分」というのを知ってしまっているからだというのも1つの理由だ。


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中学生時代に学年で「自己中だから」と1番嫌われ、鬱陶しがられていたクラスメイト。
彼女は頻繁に私に話しかけ、ことあるごとに遊びに誘ってきていた。

最初は面倒なので断ったり無視していたりしたのだけれど、私は彼女が本当はとても寂しがり屋なのだということに気づいてしまった。

彼女は面倒見もいいので後輩たちにも慕われていたし、愛嬌のある子だったので先輩たちからも可愛がられていた。
しかし、親が金持ちであるが故に、先輩や後輩が遊ぶ金目当てでいいように利用しているということも私は薄々気づいていた。本人も気づいていたのかもしれない。


実際に彼女と遊んだり付き合いを始めると、非常に気がきく子だということが分かった。
親の商売柄とはいえ、自分の事に気を使ってくれて、自己中であることには変わりは無かったのだけれど、そんな彼女の良い一面を知ってしまった事により、私の嫌悪のボルテージは一気にクールダウンしてしまった。

なぜこんな昔話をしているのかというと、今の仕事を始めてからというもの久しぶりに「この人の事は一生好きになれない」と思う人物との出会いがあったからだ。

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初めての出会いは半年前。
彼女はいつも嵐の様に現れ、そしてまた嵐の様に去っていく。


彼女が唯一にこやかに接するのは、私の上司ただ一人。
他に変わりの人がおらず私が対応せざるおえない場合のみ対応するということで、関わりは文字通り最小限に抑えている人物であり、私を含め誰が来ようとも、これまた文字通り鬼のような形相と罵声で攻撃してくるのだからたまらない。


そしてつい先日、本当に久しぶりにその「どうしようもない事態」がやってきてしまい私が彼女の対応を行う事になった。

心の中で誰にも届かない「SOS」信号を発しながら、「どうか無事に終わりますように」と祈り続けながら彼女と接していた。


予想通りの罵声とプレッシャーを与えられたものの、強烈だった最初の出会いと比べると少しマシに感じたのは、途中で上司が登場し代わってくれたお陰と私が彼女の毒っ気に当てられ続けた結果かもしれない。


しかし安堵したのもつかの間。彼女はその翌日も現れた。

また、上司が居ない。

この時は同僚と一緒に対応したのだけれど、彼女の雰囲気がいつもと少し違っていた。
上司が居ないというのに、彼女は機嫌がいい時の笑みを浮かべていたのである。

最初は何が起こるのかと不気味に思ったけれど、彼女の発した言葉により私の思考は撤回されることとなる。

昨日は…というかいつもごめんなさいね。私、いつも時間が無いからカッカしちゃってああいう言い方しちゃうのよ。私、絶対ここで嫌われてるでしょ?笑っちゃうわよね。


一瞬、何かの間違いかと思った。

いつも般若のようなというよりかは正しく般若の形相で罵声を浴びせてくる彼女の口から「ごめんなさい」という謝罪の一言が出てくるだなんて夢にも思わなかったからだ。

いえいえ、そんなことないですよ!こちらこそ不慣れなもので、いつもお待たせして申し訳ございません。

咄嗟に本心と嘘が入り乱れた返事をしてしまったけれど、「こちらこそ〜」からは私の本心だ。
まだ働き始めて半年も経っていないのだから、相手が苛立つ原因に自分がなり得る事は重々承知している。

そして彼女は多少刺々しい言葉を残しながらも、私と同僚に叱咤激励をくれた。


それからというもの、彼女の対応をする際には以前と比べると彼女の言葉遣いや態度が不思議と気にならなくなった。


実際問題、彼女が謝罪の言葉を口にしたくなるような態度を自分がとっていたのかもしれない。
そう思うと彼女に対してなんだか申し訳なく思ったし、まだまだ自分は未熟だなと反省した。


別に出会う人、関わる人の全てを好きになろうだなんて思ってはいない。
かといって、嫌いな人を作らなければいけないという理由もそこには存在しなくて。

個人的に人を嫌うということは負の力が働いて体力的にも精神的にも消耗するものが多いと感じる。

逆に人を好きになるということは正の力の働きによって、自分自身の蓄えにもなり、その相手に大してのプラスにもなり得ることだと思う。


そう考えると、私は彼女の「良い一面」を半年目にして知る事が出来て大変嬉しいし、人を1人嫌いにならなくて済んだと思うと改めてホッとしている。