YESかNOか半分か

元ニートが、再びニートになったりならなかったり。

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真夏の島本理生ワールド:今週のお題「読書の夏」

今週のお題「読書の夏」

2年前に、はてなブログの「夏に読みたい1冊」という≪今週のお題≫で銀色夏生さんの本について書いたのが懐かしい。
あれから、もう2年。されど2年。

8月に入ってから、ほぼ毎日、本を読むようになった。雇用保険の申請に必要な書類が揃っていないから、ハローワークに足を運ぶのももう少し先になる。
そんな無職の自分には、有り余るほどの時間がある。

普段、本を買う時は装丁に惚れて購入する事が多い為、随分と前に買ったのに未だに手をつけていない本がたくさんあって、それらを少しずつ消化していこうと決めた。

最近立て続けに読んだのは、島本理生先生の小説4冊。

週末は彼女たちのもの (幻冬舎文庫)

週末は彼女たちのもの (幻冬舎文庫)

夏の裁断

夏の裁断

匿名者のためのスピカ

匿名者のためのスピカ

ナラタージュ (角川文庫)

ナラタージュ (角川文庫)

「夏の裁断」が芥川賞候補に選ばれていたことを受賞作品発表の当日に知り、10年前に読んだ「ナラタージュ」を思い出して無性に彼女の本が読みたくなった。

近所の本屋さんで「週末は彼女たちのもの」と、思いがけず文庫版を目にしたので「ナラタージュ」もついつい買ってしまった。

それから8月になって、惜しくも芥川賞受賞を逃した「夏の裁断」と「匿名者のためのスピカ」を一緒に購入した。
「週末は彼女たちのもの」以外の3冊は、季節設定が夏だから今の時期に読むには最適だ。

「夏の断裁」と「匿名者のためのスピカ」、そして島本先生の今後

島本さんはTwitter上で、今年限りで純文学からは身を引き、エンタメの分野で書かれるということを表明している。


「夏の裁断」を読んでから「匿名者のためのスピカ」を読んだ。
この順番で読んだからかもしれないけれど、「夏の裁断」では"裁断(分断)"と"自炊*1"という言葉とストーリー展開から、島本先生の純文学世界への決別を思わせるような印象を受けた。
そして「匿名者のためのスピカ」からは、これから純文学界を離れ、エンタメ界へと進んでいく。そんな島本先生の気持ちがうっすらと滲み出ている作品だと感じた。

あくまでも私自身のデタラメな感性が思ったことで、それが正解とか不正解だとか、そういうことはあまり考えてはいない。
「書を読む」ことで、自分が自由に物思いに耽ることを許された気になる、それを求めていたから、私は昔から本を読むのが好きだったのかもしれない。

過去に引きずり戻される「ナラタージュ」

「ナラタージュ」を初めて読んだのは、本が発売された年だったから、10年振りにこの本を読んだ。
ハリポタ全7巻の内容はよくよく思い出せるのに、読み始めるまでは「生徒と先生、恋愛、演劇」くらいのワードしか思い出せなくて、自分の記憶力の悪さを呪いながら、初めて読む気持ちで本を開いた。

読み終えてからは、少し後悔した。昔々に封印したものを再び紐解いてしまった、そんな後悔の念。この小説の話の内容をほとんど忘れていたのと同じように、忘却の彼方に置きやった気持ちが、ほんのりと色づいた。
それと同時に10年以上経っても消化しきれていない想いからは、いつになったら解放されるのだろうかと疑問に思った。

数年前にそうする機会があったのは確かなのに、あのとき自ら何かしらの行動を起こしていれば、今この本を読んで複雑な念に捕らわれることも無かったかもしれない。結局は、後悔しても、今となってはどうしようもない。
そうやって、何度も後悔して、思い出しても動揺しないくらいの強い心を得るにはまだまだ時間が必要なのだろう。

ふと、次にこの本を再読するのはいつになるのだろうか、と考える。
数ヶ月後、数年後、また数十年経ってからかもしれないし、もしかしたら一生読むことが無いかもしれない。
そのときも、私はこの本の中身を全て忘れてしまっているのだろうか。

子供だったから愛とは違うとかじゃなくて、子供だったから、愛してるってことに気づかなかったんだよ。 

「ナラタージュ」 島本理生

*1:電子書籍に関する自炊(じすい)とは、自ら所有する書籍や雑誌を イメージスキャナ等を使ってデジタルデータに変換する行為(デジタイズ)を指す俗語。